私は1955年に西戸崎で生まれ、この町で育ちました。今では西戸崎近辺の住人のあいだでさえ知られていなくなっていますが、第2次世界大戦後の1945年から1972年まで、この地には米軍基地「キャンプハカタ」が存在し、基地の外にも米軍関係者が居住するために建設された「米軍ハウス」がありました。ちなみに私の父親はキャンプハカタの食堂でコックをしており、母親は米軍ハウスでメイドをしていました。
当時、街にはバイクやアメ車が走り、お店の看板は英語表記。約40軒ものバーが立ち並ぶなど、その景観はまるでアメリカそのものでした。当時、私たちはアメリカ人のことを親しみを込めて「ハロー」と呼び、若い米兵のことをハローのお兄さんと呼んでいました。ハローのお兄さんたちはとても優しく、キャッチボールをしてくれたり、バイクに乗せてくれたり、よく遊んでもらったことを今でも鮮明に覚えています。
基地の街というと「暗い歴史」をイメージする人もいらっしゃると思いますが、私の記憶の中には暗いイメージのものは全くなくて、むしろ明るく楽しいことばかり。当時、この街では日本人とアメリカ人は本当に仲がよかったんですよ。
井上準之助氏インタビュー
アメリカがあった頃の
元気な西戸崎を取り戻したい
元気な西戸崎を取り戻したい
幼い頃からそのような環境で育ちましたので、目の前に広がるアメリカ的なものは、私にとって当たり前の景色でした。米軍が撤退し長い時を経たそんなある日、若い人たちに当時の話をする機会があったのですが、皆さん非常に興味を持って私の話を聞いてくれたんですね。その時、私はハッとしました。私にとって普通の話、普通の景色は、当時を知らない人たちにとっては特別な話、特別な景色なのだと。
そこで当時のことをもっと多くの人に伝え、アメリカがあった頃の元気な西戸崎を取り戻したいとの思いから、2014年に当時のキャンプハカタや西戸崎の街の風景写真を一堂に展示する写真展を企画。幸いにもキャンプハカタに滞在していた軍人OBの方から大量に写真を提供していただき、2015年3月から西戸崎公民館で写真展を開催することができました。現在も継続して行なっていますので、ぜひ多くの方々にご来場いただきたいと思っています。
また、今年2022年が、キャンプハカタが閉鎖されてからちょうど50周年に当たりますので、これを記念した小冊子「僕の街にはアメリカがあったSAITOZAKI FUN BOOK vol.2」を現在編集中です。発行日はマリリン・モンローがキャンプハカタに訪れた1954年2月10日にちなんで、2023年2月10日とする予定です。
そこで当時のことをもっと多くの人に伝え、アメリカがあった頃の元気な西戸崎を取り戻したいとの思いから、2014年に当時のキャンプハカタや西戸崎の街の風景写真を一堂に展示する写真展を企画。幸いにもキャンプハカタに滞在していた軍人OBの方から大量に写真を提供していただき、2015年3月から西戸崎公民館で写真展を開催することができました。現在も継続して行なっていますので、ぜひ多くの方々にご来場いただきたいと思っています。
また、今年2022年が、キャンプハカタが閉鎖されてからちょうど50周年に当たりますので、これを記念した小冊子「僕の街にはアメリカがあったSAITOZAKI FUN BOOK vol.2」を現在編集中です。発行日はマリリン・モンローがキャンプハカタに訪れた1954年2月10日にちなんで、2023年2月10日とする予定です。
IRが新たな賑わいと
大きな雇用を生み出す
大きな雇用を生み出す
写真展がきっかけとなりキャンプハカタOB会の人たちと交流をするようになり、2019年11月にはフロリダ州で開催された同窓会に招待してもらいました。現地で出会ったOBの皆さんは、「今でも西戸崎を愛している」と口々におっしゃってくれて、とても嬉しかったですね。心から感動し帰国したちょうどその頃に、私は、このIR(統合型リゾート)の話を聞くことになりました。初めて話を聞いたときには、本当に国営公園のなかにつくれるわけがないと思っていました。しかし、その構想について詳しく聞くと、私が長年やってきた町おこしに重なるものだと感じました。私は、もしこの地に賑わいをもたらす何かができるなら、それはアメリカナイズされたものが相応しいのではないかと、いつも考えていたんですよ。そうした中で出会ったこのIRこそがその答えではないかと感じたのです。そして、キャンプハカタOB会に招待された直後というタイミングにIRの話を知ったということにも、不思議な縁というものを感じています。
今から半世紀以上前、40軒ものバーが立ち並び、米軍向けの商店等で賑わっていた西戸崎の街も、キャンプハカタが閉鎖されてからは、雇用も産業もなくなり、人口がどんどん減っていきました。私はIRを誘致し、国内外から多くの観光客が西戸崎を訪れるようになれば、大きな雇用が創出され、若者の市外流出などの課題解決につながると考えています。もちろん、移住・定住人口の増加も期待できます。西戸崎は特にこれといった産業はなく、明治の初めは14軒しか民家がなかったそうです。やがて明治の終わり頃に石炭の積出港や石油基地が次々に竣工され、その都度その都度、他所から人が集まり発展してきたという歴史があります。つまり西戸崎は、伝統的に移住・定住ウエルカムの街。新たな雇用環境を求めて移住を希望する人たちを受け入れる街のDNAは、この街の強みでもあります。
いつの時代も、新たな世界を創造するのは若者たちです。若者の心を輝かせる魅力的なエンターテインメントと若者の暮らしを支える雇用を生み出すIR。
これを通じて若者が元気になれば、地域社会はもっと元気になる。福岡IR構想から希望の未来が始まることを信じています。
これを通じて若者が元気になれば、地域社会はもっと元気になる。福岡IR構想から希望の未来が始まることを信じています。